阪神淡路大震災とは?兵庫南部を震源とした直下型の大震災

阪神淡路大震災(はんしんあわじだいしんさい)とは、
1995年1月17日に発生した兵庫県南部を
震源とした地震により、大規模な被害を引き起こした自然災害となります。

日本には多数の地震災害が発生していますが、
2011年の東日本大震災に次ぐ、最大規模の地震災害で
多くの被害、甚大な影響をもたらした震災です。

後々の耐震対策にも大きな影響を与えた地震でもあり、
大きな地震の一つとして名前が挙げられることも多い地震です。

最近では、知らない人も増えてきてしまっているので、
その概要を見ていきましょう。

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地震の発生

1995年1月17日に兵庫県南部を震源とする地震が
発生しました。
時間は5時46分。早朝の時間帯で、まだ就寝中の方も
多かった時間帯に発生した地震です。
直下型の地震となっており、震源地は内陸部であったことから、
東日本大震災とは大きく種類の異なるタイプの地震となっています。

直下型地震としては現時点、最大規模の被害をもたらした
とても悲劇的な地震となっています。

当初命名も様々な名前が用いられており、
兵庫県南部地震、阪神大震災、神戸大震災、神戸地震、関西大地震など
様々な名称が用いられていました。
これは、2011年の東日本大震災においてもそうで、
地震の名称が統一されるまでには、色々な名称が用いられることがあります。
発生の同年2月14日に名称を「阪神・淡路大震災」とすることとし、
以降はそれに統一されたかたちになっています

地震の規模は?

地震の規模はマグニチュード7.3、
最大深度7を記録しています。
東日本大震災のマグニチュードは9で、この地震よりも、
パワーとしては圧倒的になるのですが、
東日本大震災の震源地は三陸沖と、内陸部からかなり離れた地震に
なっていました。
そのため、直下型地震のこの阪神淡路大震災は
建物に大きな被害をもたらし、その被害が多くの犠牲者を
生むこととなりました。

一方の東日本大震災は、地震の揺れそのものではなく、
後に発生した津波によって、甚大な被害が出ています。

直下型と、海で発生した地震…
その大きな違いが現れています。

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前兆はあったの?

阪神淡路大震災発生前に前兆はあったのかどうか。

これは、いくつかの前兆が報告されています。
まず、大きな地震活動の前に起きると言われている「前震」ですが、
本震発生前の16日から、4回ほど、小さな地震が周辺で発生しています。
これが前震だったと考えられているようですが、
「この時点で」これから発生する大きな地震の前震であると
考えるのは不可能なことです。
結果的に大きな地震が発生したので、「あれが前震だったのか」となりますが、
1月16日の時点で、これは前震だ!と判断することは
誰にもできなかったのです。
これは、現代でも変わっておらず、発生した地震が前震であるかどうかを
予測することは、非常に困難です。

同じような場所で4回程度の地震が来ることは
そこまで珍しいことではないのです。
そのため、それが前震なのか、ただの小さな地震活動なのか、
これを識別することは非常に難しく、
今後の研究課題の一つと言えるでしょう。

ほか、ひずみや空白、群発地震などが前兆として
挙げられていますが、いずれも関連性に関してはあやふやである上に
もしも関連があったとしても結果論でしかなく、
前兆現象として扱うのは難しい一面もあります。

さらに、目撃談として地震雲や光の異常な観測、
電子機器の異常、動物の異常行動などが挙げられていますが
それらが地震と関係性があるものなのかどうかは不明です。
地震がそののちに起きたからこそ、どうしても関連付けて考えてしまうだけなのか、
実際に関係があるのかどうか。
いずれにせよ、これに関しても、地震の予測に役立てることは
非常に難しいのが現実です。

余震はどのぐらいあったの?

余震回数は大規模な地震災害の中では比較的少ない部類に
入るかと思います。
データによれば、震災後、3月1日までの記録で
震度1以上が190回、震度0が1615回となっています
震度0は基本的に人間は気づかないレベルの揺れなので
体感する余震の数は、他の大規模地震と比べると
少なかったと言えます。
余震の最大震度は4でした。

このあたりは、地震ごとに異なるので、一概には言えない部分が
ありますが、余震だけを見れば、比較的少ない回数で
あったと言えます。

地震による被害

人的被害、経済被害、多くの被害を出しています。
主に、地震による建造物の崩壊やその後の火災などに
より、大きな被害が生まれています。
時間帯が早朝であったこともあり、
建造物の倒壊などによる被害が一番多かったとのことです。
関東大震災の火災による被害、
東日本大震災の津波による被害とはまた異なる部分での
被害となっているのが特徴となります。

犠牲者の数は6434名、
負傷者は4万人以上にも上る、
非常に心苦しいものになっています。
また、経済的な損失面のお話をすると、
約10兆円の被害総額になっているようです。

この数字は、東日本大震災が発生するまでは
最大の数値となっており、
記録的な地震災害となっています。

今でも、追悼などが行われており、
その悲劇が語り継がれていると共に
現代の地震災害対策のための、
基盤にもなっています。

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二次災害の発生など

地震災害後には、火災が発生しています。
火災によっても、犠牲者が出ているほか、
全焼・半焼する建物も多数存在していました。

また、津波に関しては「津波無し」と当初発表されていましたが
小さな規模の津波は発生していたようです。
ただし、津波による目立った被害は出ておらず、
震源地が内陸部であったことから、
東日本大震災のような、大きな津波が発生することはありませんでした。

交通機関や、日常生活には大きな影響を与えており、
ライフラインの停止、物流の麻痺など、
あらゆる影響が発生しました。
住宅の全壊などにより、長い間避難生活を余技なくされたりと
たくさんの部分に大きな影響を与えています。

後に与えた影響

阪神淡路大震災前には、地震の震度階級は今と少し異なっていました。
例えば、震度5、6は、現在では「弱」と「強」に分かれていますが
当時はそういう区分もありませんでした。
この大震災により、色々な部分が見直され、
震度階級も現在のような震度階級になったほか、
建築物の耐震の基準や、地震災害発生時の対応の教訓など、
様々な教訓として、現在に活かされている部分があるのもまた事実です。

もちろん、まだまだ自然災害に対して人間は無力ではありますが、
大きな教訓になった部分があるのも事実ですし、
後々の自然災害の教訓として生かされている部分が
少なからず存在するのは事実です。
同じ悲劇を繰り返さない為にも、今後も、活かせる部分は
活かしていくことが大切になるのではないかと思います。

現在でも、現地などでは追悼の行事が行われており、
この震災による悲劇を忘れないよう、毎年1月17日には
多くの追悼行事が行われています。

まとめ

阪神淡路大震災は、日本の地震災害の中でも
非常に大きな被害を残した災害です。
もちろん、被害規模に関わらず、地震は恐ろしいものですし、
悲しいものです。

過去の震災のことを忘れることなく、
時に教訓として、これからも日本で起こるであろう
震災に対して役立てるとともに、
向き合って行かなくてはならないと思います。

当時を知る人も、当時を知らない人も、
こういうことがあった、ということは
頭に入れておき、地震災害に対する
意識の面で役立てていくことも
大切なことだと思います。

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